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「理解」について

「沈黙は金」という言葉があります

 

余計なことは言わない。

高倉健さん的な、寡黙で内に秘める渋さというか

 

「男は黙って行動するのみ」

 

みたいなイメージがありますが、時代に添わないのか、あまり使われませんね。

 

実はこの言葉には続きがあって

 

「沈黙は金、雄弁は銀」

 

というそうです。

 

前半と後半で同じテーマのことを言っているのなら、雄弁は相手になにかを伝えること、なので、沈黙も対象に自分の意思を伝える手段なのだと思います。

 

沈黙で伝えるということは、言葉ではなく、相手に悟らせる、気づきを与える、ということかなーと。

 

言葉の理解、分別の理解は、まだ真の理解、真に身についたということではなく、

 

あ、そーか!

 

という分別を超えた段階、言葉にならないところでの体験で、初めて理解した、身についた、と言えるのだと思います。

 

武術の例えで恐縮ですが、パンチに自分の体重を乗せる、重さを乗せることが出来るようになります。

言葉で散々教えてもらってもサッパリなのですが、練習して出来るようになって、初めて教えてもらってた意味が解る。

で、一度体重を乗せられるようになると、今度は乗せないということが出来ない、何をしても、その気が無くても体重が乗ってしまう。

 

そういう意識・身体、そういう生き物に勝手に変化する感じ。

 

真に理解する、身につけるとは、そういうことなのだと思います。

 

瞑想も同じで、いくつかそういう段階があります。

小さな変化から大きな変化まで。

焦らずコツコツ続けていけば、自然とそのときが訪れます。

 

今日の瞑想でちょっといいことがありました。

 

だいたいそんな感じ(=゚ω゚)ノ