みなさんにとっての三蔵法師玄奘は誰でしょうか?。
深津絵里?。夏目雅子?。
私はいかりや長介です😶。
玄奘は隋末期から唐代の仏教徒で、若くして当時の高僧達からその才能を認められ「釈門の千里の駒」と讃えられていました。
そんな彼は中国に伝えられた仏典を尽く理解しましたが、それでも自分の中の疑問・矛盾を解決することが出来ません。
そこで、
「だったらインド行っちゃるわい!」
ということで、ニンニキニキニキする訳です🐪🐒🥒🐷。
数々の苦難を越えてインドに着いた彼は、ナーランダー僧院で5年、そこで自身の疑問を解消後、さらにインド各地に高僧を求め旅をし、再びナーランダー僧院に戻ったときには大乗天(マハーヤーナデーヴァ)と呼ばれるようになっていました。
その後、大量の仏典を唐に持ち帰り、その後の人生はそれらの翻訳に努めたそうです。
で、私が知りたいのは、
彼は悟りを開いたのか?
仏陀の境地に達したのか?
ということ。
ヴェーダ後期、ウパニシャッド時代にヤージュニャヴァルキヤという哲学者が居て、あらゆる討議大会で敵無し!。
最強の哲学者の称号を得ていました👑✨。
ウパニシャッドには、彼の出家する際の妻との哲学的な会話がエピソードとして残っています。
で、あれ?と思う訳です。
出家は悟りを開くための修業をするためにするのであって。
ってことは、最強に哲学極めても、悟りは開けなかったの、かな?
じゃー哲学意味ないじゃん😱❗
あるいは哲学「だけ」では、ということか。
哲学をする意味について、私は世界への、自分の存在への矛盾、人生への疑問などを、整理・理解することで、それらの悩み・苦しみから開放されることだと考えています。
そういう精神状態になったとき、自然と内から湧き上がるなにかがあるのかな、と。
それが瞑想を深めるのかな、と。
玄奘さんは唐を出るとき、まだ疑問があったのだから、まだその境地に達していなかったのだと思われます。
マハーヤーナデーヴァとなったときにはどうだったのかな?
ヤージュニャヴァルキヤさんは山に入ってその境地に至ったのかな?
至ったのなら、それはなにキッカケなのかな?。
そこだよ!それを知りたいんだよ!
っていう話を哲学や瞑想の先生にしたことがあるんだけど、微妙な顔をしてはった。
それを見て、まぁここから先は人に答えを求めることじゃないんだろーなーって思って、セミナーとか習いにとか行かなくなっちゃった。
キチンと修行されてるお坊さんなら、余裕なのかな。
ニンニキニキニキ、ニン♬(=゚ω゚)ノ
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